'Tis a Long Way to Connaught

Connaughtは遠い

Lúnasa 'Lá Nua'

卒論終わり院試一次も通ったので2週間ばかりの暇をいただきました。が、完全に暇を持て余しているのでなにか書こう。


12月のケルティッククリスマスのエントリを見てもらえれば分かるのだけど、基本的には俺はルナサ信者です。ファーストアルバムの一曲目Lord Mayoでジョン・マクシェリーのパイプスにやられてしまってから10年、いつだって俺の中のダンスチューンアンサンブルの基準はルナサだった。全アルバムを何周したかなぞもう分からない。そんな愛するルナサのCDに感想をこのタイミングで付けようと思ったのは、先日のケルティッククリスマスでの演奏を聴いて、現在の彼らに対する印象が固まってきたからである。正直初めて聴いたLá Nuaは、無条件で褒められるものには感じられなかった。が、時間を置いてみることで、新しい彼らを冷静に聴けるようになったというわけだ。折角の休日を存分に使って、思い切って今回は彼らの最新作(といっても去年だけど)であるLá Nuaについて戯言を弄してみようかと思う。

ラ・ヌーア~ニュー・デイ~

ラ・ヌーア~ニュー・デイ~

まず概略紹介から。Lá Nuaは(ベスト盤を除けば)4年ぶりの7作目にあたる。タイトルはアイルランド語で、新しい日の意味である。何故かMusic Plantの日本盤では「ラ・ヌーア」と読まれているが、アイルランド語の発音に忠実に行くなら「ロー・ヌア」とかのほうが近いのではなかろうか?まあ日本語表記の問題は置いておいて。その名のとおり、新しいルナサ・サウンドの構築を目指したと思われる一枚である。前アルバムで、脱退したギターのドナ・ヘネシーの代わりに参加したポール・ミーハンが正式メンバーになった初のアルバムでもあるし、そもそも4年という期間をあけて新作を出すには、態度としても「今までとは違う」ことを全面に出す必要があったのだろう。もちろん、全てがガラっと変わってしまうわけはなくて、これまで積み上げてきたルナサらしさを残しながら、今現在の状況に適応していこうという意思が感じられる。

実際の感じとしては、ライナーノーツで松山晋也が言ってるように、ベースのトレヴァー・ハッチンソンがメインにプロデュースしたの頃のスタイルを踏襲しているようだ。というより、はメンバー変化に伴うスタイル移行の過渡期であって、今回ついにドナのいない新生ルナサが完成した、とも言えるだろう。スタイルに変化が見られるとはいえ、アンサンブルの完成度はこれまでのルナサから衰えるどころか増している。すでに若手ではない、中堅としての貫禄を存分に見せてくれる演奏である。

しかし、完成度とは別の話で、「新しい」ということが無条件に肯定的な評価を与えられるものではないのは、当たり前のことではある。このアルバムにもご多分にもれず、今までのファンにとっては、失望といったら少し違うが、「ルナサってこんなんだっけ・・・?」という一種の違和感、拍子抜け感があることは否めない。アマゾンレビューで「疾走感がなくなってる」と言ってる方がいたけれども、確かに、ファーストアルバムを聴いたときに感じたあの熱さ、「アイリッシュ・ミュージックってこんなにかっこよかったんだ!」と思わせるだけの力が失われているような感覚は俺にもあった。簡単に言ってしまえば、彼らも年食って円熟したんだよ、ということになるだろうが、そう言って納得してしまうにはあまりに勿体無いものがこぼれ落ちてしまったように思われる。

例えば、一曲目の'Ryestraw'。ベースとギターで始まるイントロは、一見、いつものルナサ・スタイルのようなのだけれども、逆に決定的な違和感がある。の'The Cullybucky Hop'のときにも確かにあった違和感だが、あのころは「まだポールがしっくりきてないのかなー」と思えて気にならなかった。しかし、今回は、完全に彼のギターがバンドに組み込まれてしまっていて、すっかり馴染んでしまっているがゆえに、かつてのルナサとの相違が際立ってしまったのだろう。ルナサのギターとして'Donogh and Mike's'のイントロのドナを想像している人にとっては、ポールの甘いギターは致命的にぬるい。とはいえ、キリアンのパイプスもショーンのフィドルも控えめにミックスされていて、柔らかい雰囲気で曲全体を調和させることが強く意識されているように感じる。つまり、ポールが駄目というわけでは決してなくて、彼らはこの新体制で、安定という新たな魅力、言うなれば「大人サウンド」を創造したに過ぎない。ただその成長がいささか急激で、リスナーを多少置いてけぼりにしてしまった結果として、違和感が生まれてしまったのではなかろうか?

というわけで、一歩先に進んでしまった彼らに追いつくべく聴きこんでみたら、「大人サウンド」が思ったよりいいもんであることに気付いた。例えばフルート曲'Island Lake'なんかは、今までにないくらいにケヴィンのフルートと伴奏帯がかみ合っていて、和やかな雰囲気を醸し出すのに成功している。ケヴィンは確かに自由自在、何でもできるスーパーフルーターなのだけど、ソロアルバム聴けば分かるように、もともとはキレのあるというより温かみのある音を出す人であって、それがこのメンバーになってから本領を発揮したように感じられる。

'Snowball'のジグの一曲目'Ciara's Dance'は明らかに新境地。オリジナルながら伝統に忠実なジグのメロディーを、キリアンのパイプスがソロで奏でるこの曲は、古臭くないのに、伝統音楽らしい優しさを持っている。これまでもそりゃあ当然情感たっぷりの曲はたくさんあったけれども、アレンジの方向性としては、そのセンスで斬新な切り口を広げてみせるというものであった。しかしこの曲は、センスの良さはそのままに、より気品ある落ち着いたアレンジを達成している。落ち着いたら古臭くなるってのは定番の流れなのだけど、そうはならないのがルナサのすごいところだ。

'Fruitmarket Reel'は、聴けば聴くほどルナサ節が効いている。やはりパイプスとフィドルが小さめでベースが大きいというトレヴァー主導下の統一志向ミックスではあるが、じっくり聴くと一人ひとりは今までと変わらず熱い疾走感を感じさせてくれる。2曲目の途中でパイプスが入ってくるところなんかは「これだよこれ」と言いたくなるかっこ良さ。表面的にはメンバーも変わり音も変わったようだけれども、根本的な部分はきちんと堅持されている。ルナサらしさは失われてなどいなかったのだ。


というわけで、Lá Nuaは、ルナサがルナサとしてのアイデンティティを保ちながら未来指向で新たに追求したスタイルを提示してくれる、New Dayの名にふさわしいアルバムであった。変化は歴然としていて、やはり昔のルナサ、ドナのいたルナサが恋しくはなるけれども、リスナーがそんなに後ろ向きではバンドも前に進むことはできなかろう。伝統は変化のうちにあるものだし、彼らが伝統音楽バンドであることは疑いようのない事実だ。変わるものと変わらないものを見つめるという態度が、伝統音楽を聴く上で重要なことであるということを改めて感じさせてくれる、そんなアルバムだった。